欲はたいしょくてんの尊の性を受けて居るで欲と云う心が生ずる。切るという御守護に人間は切らんと云う心が生ずるが埃切り分けの神様。続ぎの神様に対しては切る、切る神様には切る事を切らん、皆人間は神様の反対になる。欲もなくてはならんが例えば、千円得れば万円欲しい、切りのない心が欲。正しき欲は生存上なくてはならぬ、之れにて活動もなし、進んで行く訳だが重欲強欲色欲等。
物事の区域切り目、諦め思い切りの悪い心、捌きをする仕分け、心定めきまる足納の心はあきらめ心。定め切れの悪い万事定まらぬ、決まりの悪いが此の神の嫌い、切らにゃならん事、諦めにゃならん事を諦めぬから此の神様に叶わん。
人間切らにゃならん事を切らんは欲。欲はどれ程結構でも結構と思えぬ、不足あるのが泥水。思い切りなき心は泥。欲しいと云うは何でも目に見えるもの欲しいと思う心、欲とは思い切りの悪い心を云う。何ぼ有っても足らん/\と溜める心、大いに違うもの也。
例えば歯で噛み切るも切り、今此処を立って行くも思い切り、仕事を止めて人の頼みに応ずるも思い切り、是れが切れ味と云う歯で切り分けて味分ける心で、切り分けて、切れ味全て万事善悪正邪等の切り分け切れのよいスッパリとした心、此の心に成れんのは欲なり。此の神様は欲が大の嫌い。此の神様は俗に云うスッパリとした御心の綺麗な心定め諦めのよき神様なり。
又柔らかきものでは物は切れぬ、堅き強い心で悪しき埃を切る、悪因縁を切る、切れる欲深き故、万事心移り変わり易く、定めた心崩れやすく、心の定まらん性質は欲の因縁、しぶい心。物事の万理分け、見分けの出来ぬ心の捌けぬ定まらぬという人の心の見えぬ、物の訳の分らぬ心の切り分けの出来ぬは此の神様の入込み薄き故、此の神の徳をかげるものなり。即ち欲の埃より耳の聞こえぬのも、聞分けの出来んと云う目の物を見る如く、一度耳に入る事は聞分け明らかに出来るが当然なり。
人間身分相応の衣食住と義理応保の四つの苦は理に叶う。例えば人に恩を受けて恩を返す事とに働く欲。此の世の苦、是れだけは如何なる高位高官の人でもなくては立たぬ、通させて貰わねばならん、心それ以上何程有りても足る事、足納知らず、切りのなき心にて人は倒しても害しても人をしぼりても我れに取り込む心が埃。
例えば大人物となる人は悪を知り、一度誤りたる事は二度と思わぬ成さぬ、一々思い切りて段々心が進むから心が広く太く修養出来る如く。小人の心は悪と知った事も思い切らず何時迄も心が其所に居て進まぬ如し。何事も一々学び修めて進むので上達する。
八埃は皆欲なり。御言葉に我が身捨てゝもと云う心の理に授け置こう云々とある通り身上を捨てるのではないが人間は我が身を思う為に埃が生ずる一切の欲を去って、人を思う神の心に一致する誠の美しき心にならねば神の道具に使えぬと云う意味なり。
欲に切りない泥水や心すみ切れ極楽や。欲と云うても理に叶う方と埃になる方と有るので前述の通り、至当の正しき欲望は人間として止むを得ぬ所であって、又此の欲が有って楽しみて生活し向上する訳で、同じく社会も進歩し発展を見る訳であるから神の心に反するのでないが、人間は欲に限りない、切りないものでそれが為不正に陥りやすく、皆我れという自分の為のみを思う心からして人は如何でもかまわん。
非道の欲しいも、惜しみも、恨みも、腹立ち分け隔ての身引きも、人を憎むも、高慢も遂に欲に固まってしもうて、一層高じて強欲重欲足る事を知らず、人を倒しても我れが取り込む天理人道をないがしろにし、人の困難する事も人の立ち行かぬ事も社会に害を及ぼす事も顧みず、只我れさえ肥やせばよいと云うような事になり、我が一身一家を肥やす為に国家を害する様な貪欲。人の為とか社会の為とか云う事は少しも顧みんと云う様な事になるのである。国家の安寧秩序平和も保つ事の出来ぬ心使いにて之れ即ち悪因縁の根元罪悪を犯す、之れより大なるはないい。
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