よろづよのせかい一れつみはらせど むねのわかりたものはない
という理は、くにとこたちの命が先においでになりて、この世の人間を拵え下され、おみすましになされ、拵えたる人間には六台の根を
知っている者がない、むね(六根)のわかりたものはないと仰せられしなり。
そのはずやといてきかしたことハない しらぬがむりでハないわいな
という理は、おもたりの命様がお出ましになりて、くにとこたちの命様が六台の根を知りている者がないと申されたのをおもたりの命様が、それは知
らぬこと、説いてきかした事はない、知らぬが無理ではないと仰せられしなり。
このたびはかみがおもてへあらわれて ないかいさいをとききかす
という理は、これからは神が現われて、どんな事でも、こんな事でも説ききかすと、くにさづちの命様が申されし事をいうなり。
このところやまとのぢばのかみがたと いうていれどももとしらぬ
という理は、大和地方を他国からは神方というているがなんでいうのやら、いうているやら元はしろまいと、つきよみの命様が申されし事なり。
このもとをくはしくきいたことならバ いかなものでもこいしなる
という理は、この世始めて拵えた本元を聞いた事ならばどんなものでも恋しなるでと、くもよみの命様が申されしことをいうなり。
ききたくばたづねくるならいうてきかす よろづいさいのもとなるを
という理は、神の道について、この成りた元を聞かそうと思うものは、訪ねて来た事ならよろづいさいの元の因縁の事を聞かしてやろうと、かしこねの命様のお言葉であるなり。
かみがででなにかいさいをとくならバ せかい一れついさむなり
という理は、訪ねて来て聞かすのは、神が出で聞かしたしたなら、世界中は勇む心になると、たいしょくてんの命様が仰せになられた。
いちれつにはやくたすけをいそぐから せかいのこころもいさめかけ
という理は、助けの道を教えたいから世界中の心、早く勇んで来いと、おおとのべの命様が申された事なり。
これは、八下りくにとこたちの命よりおうとのべの命までの八柱の神が世界によろづいさいを説き聞かしてなにかなわんと言う事のない様に御守護下さる事を一柱の神に
一下りづづお治め下さる事をば八柱さんというなり。
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